2026年4月1日、渋谷のラジオは開局10周年を迎えました。
この節目にあたり、わたしたちは、「何を祝うか」ではなく、
「いま、渋谷はどう語られているのか」
その「声」を残し、未来につないでいくことにしました。
箭内道彦
島田亜紀恵さん(以下、島田):渋谷のラジオが 10周年となりました。改めて、この渋谷の街について伺いたいと思うんですけれど、箭内さんの渋谷の最初の記憶・風景ってどんなものだか、覚えていらっしゃいますか。
箭内道彦さん(以下、箭内):一番最初は、福島県郡山市から急行列車に乗って、日曜日、弟と 2人で。原宿に来ましたね。それで帰ってきましたね。何時間かいて。昔ね、いろいろ原宿でね、キディランドにも行ったけど、トレーナーに“BOAT HOUSE”とか“SEA’S”とか書いているのがすごい流行った頃があるんですよね。それが欲しくて買いに行きました。実際買いました。欲しかった色は買えなかったですけど、違う色を買えました。
島田:そうなんですね。その後、渋谷に長く関わるようになっていると思うんですけれども、今の渋谷は箭内さんにとってはどんな街でしょうか。
箭内:そうですね。僕は会社員時代からタワーレコードさん、そしてパルコさん、渋谷の文化を象徴するお店・会社と一緒に仕事をしてきました。でね、僕はね、渋谷はすごく何かにチャレンジする人に温かい街だなっていうふうに思ってます。12年勤めた会社を辞めた時に、最初は事務所ないまま、携帯電話を持って、車乗って、それだけで仕事してたんですけど、事務所借りようって思った時に最初青山で探してたんですね。青山は港区ですけど、でも青山(の物件)は審査どこも通んなかったんですよ。色々資料を出してこういうことをやりたいって、僕はTシャツを売っている広告の事務所作りたいと思ってたんですけど、どこも通んなくて。で、表参道の坂をスーっと降りてきて、ふっと見たところに、「あ、ここもいいな」と思って申し込んだのが原宿(の物件)だったんですよね。原宿はすぐ(審査に)通ったんだけど、「何か新しいことをやろうとしてるなら、やってみなよ」って言われた気がしてね、(物件を)貸してもらえただけで。その気持ちが今もありますね。だから新しいものが生まれやすい場所なんじゃないですかね。「それ違うよ」とかじゃなくて、「やってみたら」って言って。どんどんお店も入れ替わっていくけど、まあそれがいい新陳代謝にもなってるような気もしてね。何かダメだったらまた次のことチャレンジすればいいっていうようなそういう懐の深さと温かさを感じますね。
島田:聞いていて思ったんですけど、箭内さんご自身でも、私でも、あるいはボランティアさんでも、こういうことやりたいって言ったら、「もうやっちゃいなよ」とか「やりましょう」って言ってくださることが多い気がするんですけど、もしかして、それは渋谷の街の何か影響を受けてたりするんですか。
箭内:それは、恩返しというとちょっと違いますけど、渋谷にしてもらったことを自分もできるようになったらいいなって思ってる部分はあると思います。ただ小さい人間なので、なかなかやっぱり皆さんにご負担おかけしたり、迷惑かけたり苦労をかけたりしながら歩いている途中です。で、何よりも渋谷の今の僕の自慢の一つは「SHIBUYA NODOJIMAN」ですね。盛況のうちに第1回が開かれて、何よりやっぱアッキーのMCが良かったね。すごくね。井上順さんも素敵でした。本当お疲れ様でした。
島田:ありがとうございます。さあ、では箭内さん、これからの渋谷について思っていること、感じていることをぜひ自由にお話ししていただけないでしょうか。
箭内:これからどうなっちゃうんだろうっていうふうにね、期待もある人もたくさんいるだろうし、不安に思ってる人もたくさんいて。不安な部分ももちろんあります。これからの渋谷、何ができて何がなくなっていくんだろうって。その時に受け身なだけじゃなくて、新しい渋谷が出来上がって、そこにお客さんとして行くんじゃなくて、みんなで渋谷をね、作っていく責任があるんだっていうふうに、この渋谷のラジオもそうですし、新しい街づくりも、そんなふうにみんなが思ったら、よりまた素敵な渋谷になっていくんじゃないかなと思います。